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中後悠平がメジャー目前に。波乱万丈の1年

未分類
11 /28 2016

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「戦力外通告の男」がメジャー目前に。中後悠平が語る波乱万丈の1年
 黒のワンボックスカーに乗って夕暮れ時の駅前に現れた姿が、街の風景に馴染んでいた。助手席に乗ると、取材を重ねていた大学時代と変わらぬ人懐っこさで中後悠平(なかうしろ・ゆうへい)は近況を語り始めた。

【写真】日本とアメリカのドラフトはこんなに違う!日米ドラフト比較表

「『バースデー』(TBS系列)という番組で特集してもらったんです。そしたらこっちに戻ってきてコンビニで店員さんから『見ました!』って言われたり、あちこちで反響があって。やっぱり、テレビはすごいなあって思いますね。あと、J SPORTS(スポーツ専門テレビ局)でポストシーズンのレッドソックスとインディアンスの解説にも呼ばれたんです。薮田(安彦)さんのつながりで。試合の解説というより、向こうでの体験を話させてもらったんですけど、アメリカの野球なんて全然興味がなかった僕が……です。不思議ですよね」

 帰国後は神奈川にある夫人の実家に身を置き、日中は主にロッテの施設を借りてトレーニングを行なっている。合間には取材の話も舞い込んでくるという。

「ロッテにいたときより多いですよ」

 ドラマティックな中後の人生を振り返る話は、やはり”あのとき”から始まる。

「野球人生で初めてマウンドを降りたいと思いました」

 1年前、静岡県営草薙球場で行なわれたプロ野球トライアウトのマウンド。カウント1-1の設定ではあったが、打者3人に対し、四球、死球、死球と散々な結果に終わってしまった。

「先頭打者にフォアボールを出した時点で『もうアカン』となって……。もうあとはボロボロでした」

 だがその2日後、ベースボールチャレンジリーグ(BCリーグ)の武蔵ヒートベアーズから話があり契約。中後は1年限定でNPB復帰を目指すつもりだった。ところが、さらにそこへMLBの3球団が興味を示してきた。

 今年1月、寒風吹きすさぶ浦和のグラウンドでテストピッチを行なうと、ダイヤモンドバックスから具体的なオファーが届いた。ただその内容は、マイナーキャンプに招待選手としてというものだった。これには、「受からなかったら、また一から。嫁さん、子どももいますし……それなら武蔵からNPBを目指す方がいいかなと思いました」と、断りを入れた。

 そもそも中後は、アメリカに憧れを持っていたわけではなく、夢のために何がなんでも……という選手ではなかった。しかしその後、再びダイヤモンドバックスから、今度はメジャーキャンプの招待選手としての話がきた。ここで中後は、武蔵の了解も得て、アメリカに渡る決心をつけた。

 ビザ取得に時間がかかり、メジャーキャンプには間に合わなかったが、4月に渡米。ルーキーリーグからスタートし、そこから順調に昇格を続け、夏場以降は3Aで13試合連続無失点(すべてリリーフでの登板)の好投。メジャー昇格目前のところでシーズンを終えた。

「エージェントからは80%くらい(メジャー昇格の)可能性があると。マイナーのチームメイトからも『間違いない』って言われていたんですけど、声がかからないまま9月5日にシーズン終了。そのときは一瞬『ポストシーズン用か』と思ったりしたんですけど、3Aで40人枠に入っている選手はシーズンが終わっても準備しているのに、僕には声がかからない。それで準備している選手らを含めて人数を数えたらきっちり40人。『こら、ないわ』となって終わりました(笑)」
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細谷

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